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日本海考 [歴史を散歩]


半島南部から出土する石器の黒曜石は隠岐のものが多い。当時の「先進国」が原料をまともに加工できない不思議さはある。
やはりそうかくらいの発見だけれど、糸魚川の翡翠も東アジアで広い範囲で数多く見つかっている。
翡翠ほどの範囲になるとどう考えても交易していたと思う。
献上していたという説があるけれど、古代に糸魚川から上海の傍まで献上しにいけるだけ技術はなかったと思う。

日本では越の国について今ひとつ検証が進んでいないけれど、環日本海文化圏が存在していたのだと思う。

そう考えると鉄器も渤海経由で入ってきた可能性がある。

ヒクソス朝 [歴史を散歩]


異民族王朝だが具体的にどこの民族なのか不明です。
異民族ではないという説すらあります。
クレタと関係があったことも更に謎を深めます。
謎の多い王朝だけに謎が少しでも解明されれば面白いです

期待したのですが・・・ [歴史を散歩]


最晩年の作品が発見されたかと思いました

残念。
写実的な宗教画というのは当時革新的だったのだと思います。
ルネサンスの終焉を告げたようとしていた時代に新しい様式を生み出した一人の芸術家として歴史的にもっと高い評価を与えられてもよい画家だと思います

平清盛 [歴史を散歩]

12年の大河ドラマは清盛だそうです。
武士階級が急速に力をつけた激動期なので面白いと思います。
ステレオタイプな成り上がって暴君になって滅ぶという話ではなく、
どうやって力をつけ、貴族階級を乗り越えたのかという物語が見たいものです。

保元の乱の為朝とか、木曽義仲といった荒武者や、軍事的天才でありながら政治的に無知な義経もどのように描かれるのか楽しみです。

配役によっては見ない可能性もありますが・・・

中先代の乱 [歴史を散歩]

北条時行の鎌倉脱出の際、金刺盛澄の家人の末裔たちが顔の皮をはいで割腹し、首実検を妨害したといわれています。

義仲側に立って戦った金刺盛澄を助けた頼朝≒北条氏への恩顧なのかも知れない。
頼朝は清盛のように朝廷に取り込まれないように注意し、勢力を拡大したいと考えていたのだと思われます。
時代の改革者であった清盛と政権維持に腐心した頼朝という対比が出来る事例だと思います。

(吾妻鏡では金刺盛澄は京にいたことになっていますが、大祝は毎年下諏訪神社で神事に出て行くので、吾妻鏡のこの記述はおかしいです。)

諏訪盛高が諏訪につれて帰り時行を旗頭にして起こした反乱が中先代の乱です。

諏訪勢と滋野一族がまた義仲の一件同様の反乱を起こし、一時は直義を破り、鎌倉を陥落させます。この際、直義が護良親王を弑逆に及んだため、反北条、親護良親王だった村上氏を引き込むことが出来ず(おそらく、反北条、親護良親王の地方武将が全国に数多くいたと思われる)目的の達成度合いは中途半端になってしまいます。そしてシンボリックな意味だけの鎌倉防戦となり尊氏に連戦連敗し、鎌倉も失なってしまいます。

この反乱を期に尊氏は建武の新政を離脱することになりました。

御柱祭(愚痴) [歴史を散歩]

前回、役員にヤクザが入り込んで好き勝手をやらせてしまった。
おかげで前回は秋宮一の柱の木落しの写真は使われなかった。
今回は何度か介入してきたけれど追っ払ったようだ・・・・と思いきや、
今年も木落しだけやってきたようだ。
また秋一のハナに乗っていたらしい。
いっそのこと後ろの奴が落しちまえばいいのに。
昔からの地回りは下準備、曳行を手伝うのでまだ許せる。

この秋一の連中は乗りにだけやってくる。

根性無い地回りだ。事務所襲うとかしてみろよ。
ああいうのをのさばらせないために飼っているんだからさ。

下諏訪には9条の会とか胡散臭いものが多すぎる。

徹底した原理主義の岡谷の長地の氏子を見習って欲しいものだ。


伊能忠敬の地図 [歴史を散歩]


ちょっと驚きました。とっくに国宝になっていると思っていました。
50過ぎから独学で天文と測量を学び地図を作った日本の天才の一人です。
地球が丸かったので若干の修正が必要でしたが。

測量の杭を風水の呪いの杭だとして抜いている国もありますが。

萱の木 [歴史を散歩]

飯田藩では飢饉対策で萱の木を植えたらしい。
伊那市の山本集落、宮田村、箕輪町の旧集落、でそうした萱を見かけることが出来る。
ただ松川町の古町集落でみかける萱はそれらより明らかに大きい。
大きさからして樹齢1000年近い木が何本かある。
辰野町の今村集落にも近いサイズの萱があるので年代的に飯田藩の政策によるものではないと思う。

元々萱の実を食用としていた地域なのではないかと思う。
萱の実は油が取れるほどの高カロリーであるところに飯田藩が目をつけて植樹して行ったと考える方が、納得性が高いと思う。
萱の大木の多い南信地域の歴史というのは侮れないと思う

 [歴史を散歩]

エジプトで猫の姿の女神発掘 プトレマイオス朝で初
エジプト考古最高評議会は19日、同国北部アレクサンドリアの神殿遺跡から、古代エジプト・プトレマイオス朝の王、プトレマイオス3世(紀元前246~同221年)時代とみられる猫の姿をした女神「バステト」の像を発掘したと発表した。
 母なる女神とされるバステトの像は紀元前2890年ごろのエジプト初期王朝時代の遺跡からも見つかっているが、プトレマイオス朝時代では初めてといい、評議会は「バステト信仰がこの時代まで続いていた証拠」としている。

:猫は食糧を荒らすネズミの天敵ですからね。
猫神さま霊験あらたか 丸森で石像5体見つかる
:日本でも養蚕農家での猫信仰があったようです

クフ王の友人の墓 [歴史を散歩]

ギザでピラミッド労働者の墓、「奴隷が建設」の通説覆す発見
 
墓の壁に「クフ王の友人」という文字が記されていることからも、労働者が奴隷でなかったと考えられるという。
 発見された墓は4510年前のもので、労働者はクフ王のほか、カフラー王のピラミッド建設にも従事したとみられる。

奴隷のイメージが違うということかもしれません?
お抱えの土木技術者みたいなものだったのではないでしょうか。

有能な奴隷はそれなりの扱いだったと考えた方が良いかもしれません。
例えが映画で恐縮ですが奴隷に落されて這い上がって貴族の養子になったベンハーのようなイメージ。
十字軍に対抗したマルムーク朝は元々がマルムークという奴隷階級の出身ですし、奴隷階級が成り上がる社会構造があったのだと思います


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